浄土真宗のならいには 念仏往生ともうすなり (7月の法語カレンダー)

 

浄土真宗のならいには 念仏往生ともうすなり

今日は7月の法語のお話をしたいと思います。

今日は榎本栄一さんの「木の上」の詩を紹介したいと思います。

うぬぼれは 木の上から ポタンと落ちた

落ちたうぬぼれは いつのまにか また 木の上に登っている

真宗で考えると榎本さんの「うぬぼれ」というのは自力での悟りのことを言っているのではないかと思います。自分では悟りを得たとその時は思っていても、すぐにその悟りは様々な欲望に覆い尽くされてしまいます。なのでまた「うぬぼれ」を木から落とすために修行を行なうといった繰り返しになります。

親鸞聖人の書かれた正像末和讃でも

三恒河沙の諸仏の

出世のみもとにありしとき

大菩提心おこせども

自力かなわで流転せり

とあり、自力での悟りがどれほど果てしないものかを表現されいます。

修行というものをテレビや漫画などで見ると断食をしたり、滝に打たれたりすると言ったものが描かれています。仏教でもこのような修行を行うこともあります。お釈迦様も苦行といわれる修行を行っていましたし、親鸞聖人も若き日は比叡山で堂僧として厳しい修行を行っていました。このような修行を行なって悟りを開こうとする、このような道を「諸行往生」といいます。それに対する言葉が、今月の法語に出てくる「念仏往生」となります。「念仏往生」は言葉のとおり、お念仏によってお浄土に生まれさせていただく、ということになります。お念仏を頼りにするということはつまり阿弥陀様を頼りにするということです。ところが「諸行往生」では自分自身を頼りにしようとしています。自分自身の力で悟りを開くことができる方であればその道を進んでも良いでしょう。でも私たち凡人はほとんどそのような道を進むことはできません。そのため阿弥陀様を頼りにする「念仏往生」の道を歩んでもよいのではないでしょうか。

 

 

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